2017-04-28

盗仙桃(1)

  西王母は元祖萌え系コスプレアイドルだった!  
盗仙桃の1 
「寿桃(ソウタオ) 


昔は早死にが普通でしたから、不老長寿を目指して色々とやりました。
秦の始皇帝ほどの権力者も死を恐れた、なんてことはないのです。

秦の始皇帝は代替わりを機に国が滅びると、そう知ればこそ不老不死を追求しました。
中原の統一を果たしたほどの者が、仮にも自身の命を顧みようはずはありません。

 「俺は韓非子に会えるなら命も惜しまぬ」

現にそう言ってのけた始皇帝は、韓非子さえ居れば秦の治世を保てると考えた。
なれば、己の命など ─
彼は、国の行く末を慮すればこそ、
仙人を捜して金丹をねだってみたり、蓬莱島の鳳凰を捕まえに和歌山県まで徐福(じょふく)さんを派遣してみたり。

でも和歌山県に生息していたのは鳳凰ではありませんでした。
熊野権現の八咫烏(やたがらす)だったので、残念。 食べたら逆に祟られちゃうよ。
仙人なんて見つかるわけがありません。
レッドデータブックにも載るほどの希少種だったので、残念。
始皇帝さんは首尾よく韓非子さんを手下にしました。
でもうっかり牢死させてしまい、たったの15年で早々滅亡、残念。

ここはやはり、西王母の桃園に忍び込んで仙桃をくすねるのが手っ取り早かったようです。

しかし残念な事に、あれほど不老不死に焦がれた秦の始皇帝ですが、西王母の仙桃を手にする事は遂にありませんでした。
西王母が農園を開業して仙桃栽培を始めたのは、ちょうど秦から漢代に移る頃だったのです。
始皇帝の頃は、まだ西王母は天の災厄と重刑罰を司るお仕事をしていました。

だからって始皇帝ったら、桃の代わりに水銀をあんなにいっぱい陵墓に溜めちゃって。
まあ水銀は汞(こう)といって、かつては「工業の水」とも称された無くてはならない有用な物質でしたが。
それが現代では有害物質のレギュラーメンバーですから、中華の方々もとんだ遺産を掘り当てたものです。



山の彼方の空遠く、幸い住むと他人の言う。
そこに棲むものは、果たして妖物か魔物か神仙か。

西王母の生息地は崑崙山(こんろんさん)の山深く。
瑶池のそばで、蟠桃(ばんとう)という品種の桃を栽培して生計を立てています。
蟠桃という品種の桃は実際にありますが、ここでは関係ありません。
蟠桃の大規模栽培に耐える水源は、崑崙山には瑶池しかなかったのです。

西王母の農園はかなり大規模で、一説によると桃が全部で3600株。
前面に1200株、中程に1200株、後面にも1200株。
数字の切りが好いのは、品質管理を重んじたためです。
よく知りませんが、桃1株あたり仮に4平方メートルとすると、なんと東京ドーム1/3個分の広大な農園。
(注:計算合ってる?)
今ではそのモモは、王母桃と称する崑崙山の特産品となりました。

前面のモモは3千年に一度実がなります。
食べたら、仙人になれます。

 中間のモモは6千年に一度実がなります。
食べたら、不老長寿となります。
 (注:え、じゃあ、仙人は不老長寿じゃないの?)

後面のモモは9千年に一度実がなります。
食べたら、天地斉寿・日月同庚です。

天地斉寿・日月同庚」、意味わかりませんが、直訳で、
天地と同い年・日月と同様」ですから、なんだか凄そう。
もしかして、宇宙と一体化しちゃうんでしょうか?

西王母は、時々神仙を招いてパーティーを開催しますが、このパーティーを蟠桃会(ばんとうかい)と称し参列者には蟠桃が振る 舞われます。
公式には500年に一度ですが、この蟠桃会の目撃情報が多い事から、もう少し回数は多いだろうと考えられています。
たぶん、毎年誕生日の度に開催してるんじゃないでしょうか。
西王母の誕生日は言わずと知れた、3月3日の桃の節句です。

かつてこの西王母の蟠桃を、盗み食いした者がありました。


仙桃盗み食いの第1人者はやはり孫悟空。
西王母の桃園に忍び込んだ孫悟空は、モモを盗み食いして五行山に500年封じられました。
五行山はこれまた実在する山です。

観音さまに命じられ、玄奘法師の取経の旅にお供した孫悟空はやがて道教の神となります。
坊主と一緒に仏教の修行を積んで道教の神になる、なかなか象徴的なエピソードですが、孫悟空の廟というのもちゃんと有る訳 です。
正しくは孫悟空廟じゃなくて斉天大聖廟ですが、中には棍棒を持ったサルが祀られていると。
サルの斉天大聖が先に居て孫悟空のモデルになったのか、孫悟空を祀って斉天大聖廟になったのか、そこはよく分かりません。

日本では、お頭むの加減で真摯な信仰の故にお遍路やって弘法大師空海に出遇ってしまう方がおられます。
中華の田園地帯でも山仕事などしていると偶さかに、孫悟空や関羽に出遭っちゃう方が時に居られるようです。
それが、信仰の力というものなのでしょう。

 斉天大聖廟の所在地:ネット漁ったらこんなの出て来ました。

福建省福州市侯県 斉天大聖廟


どうもあちこちに有るようで、マレーシアやシンガポールの方が有名そうな感じです。

西王母は、それは古い神さまです。
どれくらい古いかといいますと、現代でこそ西王母は道教の神さまですが、西王母ともなると道教が成立する前から神さまをや っていた。

西王母、目撃情報第1弾。

その日、若き周穆王(しゅうばくおう)は崑崙山(こんろんさん)を徘徊しておりました。
周穆王は周朝5代目の王ですから、この周朝の頃はまだ皇帝はいません。
皇帝の1代目は、周の次の秦の始皇帝ですね。

周穆王は若いころ、こうして辺境の変なところを旅するのが大好きでした。
その旅行記も執筆していて『穆天子伝』といいますが、おそらく世界でも最古クラスの旅行記ではないでしょうか。
周穆王が崑崙山をうろついていると、なんと西王母に出くわした。

その頃の西王母は、まだ恐ろしい女神様です。
古老の言い伝えによると、人頭・虎の牙・虎の体・豹の尾を持つ半人半獣の怪物で、天厲(てんれい:天の災厄)と五残(重刑 罰)を司っていた。
まさしく西王母こそは、恐ろしい山の神。
(注:一応念のため、「うちのかみさん」などといいますが、昔は女房の事を「山の神(女性神)」とよく表現しました)
しかしどうも、実験的に仙桃の栽培はしていたようです。
周穆王は西王母と仲良くなり、西王母の家にお招きされて仙桃を貰って食べました。

伝えるところに拠れば、周穆王と西王母は3年もの間仲良く過ごしたらしい。
流石は周穆王、斯様な恐ろしい神と仲良くなってしまうとは。

西王母の肖像画があります。
周穆王画とありましたが、嘘だと思います。


西王母肖像画・伝周穆王画




・・・・・これ・・・、現代日本では少しも違和感がないんですが。

腰になんか巻いただけのあられもない姿、
可愛げな髪飾り、
もふもふ尻尾、
それに、それに、絶対Dカップ!
第一、この水着のグラビアアイドルがよくやる萌えポーズ!

周穆王は西王母を、もふもふしちゃったりなんかしちゃったんでしょうか。

これなら、これなら、3年でも5年でも、いくらでも一緒にーーーっ

なんと、元祖コスプレアイドルは西王母だったという歴史的証拠が有ったのでした。

その後、周穆王は王になってから再び西王母の行方を尋ねて崑崙山の西王母の家を訪ねました。
しかし幾ら捜しても見つからず、再び逢う事はなかったそうです。

どっかで聞いたような話しですが・・・、って迷い家かよ。
たぶん、西王母は仙桃農園を開業するために、瑶池のそばに引っ越した後だったんだと思います。
でもおかげで、周穆王は105歳まで長生きしました。
ただ、周穆王の没年はわかってますが生年は不明です。

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